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華北に割拠していた

後周の世宗は中国の統一を目指して、南征を試みるようになっていった。当時、南唐と後周は淮河を境にしていた。淮河は大河であるため、後周の軍が淮河を渡って南唐を攻撃することは困難であった。ただ、冬期には淮河の水位が下がり、渡河が容易になる。それゆえ後周が南唐に侵攻したいのならば、冬期以外になかった。南..
update:2009年09月12日
【ことわざ広場】
似て非なる者